病院紹介:市立豊中病院について

沿革 - 70年のあゆみ(昭和19年~平成8年)

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市立豊中病院70年のあゆみ(昭和19年から平成8年)

市立豊中病院は第2次世界大戦の真只中、昭和19年に開院されました。以来、昭和29年、平成9年の2度にわたる新築移転を経て平成26年4月開設70年を迎えるにいたりました。ここに病院開院以来の70年の歩みを当時の主な出来事と併せてご紹介します。

1944(昭和19年)

私立病院を買収し豊中市民病院として発足(4月12日開設)

私立病院を買収(内科、外科、小児科の3科) 31床。
医薬品、医用資材及び食料は入手困難であり日常の診療業務を遂行することすら苦難の連続であった。入院患者は蒲団、七輪、炊事道具一式をリヤカーにつんで来院していた。
昭和20年豊中市内は米軍による大空襲の被害を受ける。至近距離に一頓爆弾が落下する事態を経験したが、幸い不発弾であったため病院建物も人にも被害はなかった。しかし一部の地域では相当の被害を受け、大勢の負傷者が担ぎこまれ待合室も廊下も負傷者で埋まり、寝食を忘れて治療に専念する日々が続いた。

  • 終戦(昭和20年)

1954(昭和29年)

豊中市岡上の町に新病院竣工、市立豊中病院と改称(7月)

新病院竣工人口増加に伴う医療需要の増加と、医療水準の向上に対応すべく新築・移転。(内科、外科、小児科、皮膚泌尿器科、耳鼻咽喉科、整形外科、産婦人科、眼科、理学診療科、歯科)一般112、結核45、計157床。
豊中には大池小学校以外に鉄筋の建物が見られなかった時代、鉄筋4階建て、延面積2364.9坪の大病院となった。
心電図が整備され循環器疾患に対する診断能力の向上や2素子脳波心電計・位相差顕微鏡が設置されるなど設備の充実が計られた。

  • 第5福竜丸ビキニ水爆被災
  • 防衛庁自衛隊を設置

1957(昭和32年)

総合病院の認可を受ける(7月)

総合病院の認可を受ける併設伝染病棟新築竣工35床、一般病棟30床増加 計222床。(9月)
循環器系に対して心音計、脳波計の導入、胃疾患に対してはガストロカメラを使用し、より正確な診断ができるようになった。

  • 南極観測隊宗谷丸出発

1958(昭和33年)

看護婦寄宿舎新築竣工(8月)

看護婦寄宿舎新築竣工鉄筋4階建・104名(定数)で完成。しかし12畳の間に6人、1人あたり畳2畳の割り当てだった。昭和37年頃より看護婦の全寮制是非の組合運動から通勤制度が認められる。「結婚即退職」の流れを大きく変えることとなった。

  • 1万円札発行

1960(昭和35年)

東病棟新築工事完了

東病棟新築工事完了 一般246、結核58、伝染35、計339床。(5月)

  • カラーテレビ放送開始

1964(昭和39年)

地方公営企業法の適用を受ける(一部財務適用)(4月)
救急病院告示の承認(10月)

救急指定病院として機能しはじめ、患者が急増。

  • 東海道新幹線開通
  • 東京オリンピック開催

1966(昭和41年)

基準看護実施の承認(10月)

昭和33年11月に基準給食、昭和37年5月に基準寝具の承認済み。3基準の実施承認を受ける。

がん対策として腫瘍相談科が発足。胃がんなど悪性腫瘍の早期発見に力をつくす。(10月)
南館病棟、診療棟、管理棟、看護婦寄宿舎等の増改築工事が竣工。(11月)

南館病棟、診療棟、管理棟、看護婦寄宿舎等の増改築工事が竣工(第1内科、第2内科、小児科、外科、整形外科、皮膚科、ひ尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻いんこう科、放射線科、歯科、麻酔科)一般446、結核58、伝染35、計539床。
検査施設はレントゲンテレビ、オートアナライザー、3素子心電計等最新の機器が整えられ、技術面では、血管造影法が、治療面ではコバルト60を用いた放射線同位元素治療が可能となった。
9月大池小学校の運動会で配られた弁当による集団食中毒で一挙に198名の入院患者が発生。

  • 豊中市の人口30万人突破

1970(昭和45年)

脳神経外科新設(診療科)(7月)

交通災害による脳外傷患者の増加、特にくも膜下出血などの脳血管障害に対して、積極的な外科的治療の必要性が生じたために専門診療科の設置が急務であった。

  • 大阪万博開催
  • 赤軍派学生日航よど号ハイジャック

1971(昭和46年)

市立豊中病院看護婦託児所開所(収容人員20人)(1月)

市立豊中病院看護婦託児所開所託児所は看護婦の離職防止と確保対策のために開設されたが、他にはないため申込みが殺到。

  • 立山黒部アルペンルート全線開通

1972(昭和47年)

心臓外科を新設(診療補助科)(4月)

大阪府下公立病院に初めて心臓外科が生まれた。7月より心カテーテル検査及び心血管造影検査を開始。9月に第1例心臓手術が行われた。(心室中隔欠損症)

全館冷房工事竣工(6月)

全館冷房工事竣工待望の全館冷房が設置される。

  • 沖縄返還

1975(昭和50年)

結核病床廃止(一般504、伝染35、計539床)(10月)
  • 三億円事件時効成立

1976(昭和51年)

看護婦寄宿舎新築竣工(1月)

看護婦寄宿舎新築竣工6畳の個室となる。
(東豊中6-15-1)

  • ロッキード事件
  • 豊中市の人口40万人突破(昭和52年)

1980(昭和55年)

CTスキャナー診療棟新築竣工(3月)

CTスキャナー診療棟新築竣工中庭の一角にCT室を設置。CTスキャナー(頭部)診療を開始した。
昭和59年には中央検査室の改装、また南病棟の一部を改修して準ICU的な機能をもつ外科回復室を設置した。限られたスペース内で苦心して改造を行ってきたが、もはや日進月歩の医学に即応しきれなくなってきていた。

  • ジョン・レノン銃殺事件

1988(昭和63年)

豊中市長に新病院建設基本構想案を提出(4月)

旧病院は建物の老朽化はもちろんのこと市民に高水準の医療を提供していくためには一日も早い増改築が必要な状況であった。医療需要をもとに算出された病床数600床の病院を建設するには、現地建替えでは病床350床しか確保できず、しかも工事は長期におよび診療機能にも支障をきたすことから新築移転を選ぶべきとの結論に達した。診療科として神経内科・精神科・リハビリテーション科の新設やがん、循環器系疾患・リハビリテーション対象疾患等の医療を集中的に行う、24時間体制の救急部設置等地域基幹病院としての責務を全うするための検討事項が示された。

市議会において新病院建設予定地を「二尾池」に決定(12月)

敷地面積として前病院の敷地2.5倍を確保。東西約60m、南北約400mの長方形の敷地で、かつ航空法により厳しい高さ制限を受けるが、二尾池の水、待兼山の緑、太陽の光のマッチした良い環境として、数ある候補地より選ばれた。

  • 青函トンネル開通

1989(平成元年)

臨床研修医制度発足(7月)
市議会において新病院建設基本構想案を承認(12月)
  • 平成と改元
  • 消費税導入

1991(平成3年)

新病院基本設計完成(3月)
医事コンピュータ導入(入院部門)(11月)
  • ソ連崩壊

1992(平成4年)

大阪府より新病院開設及び増床許可の承認(12月)

人口の将来予測や高齢化による受診率の増加、疾病構造の多様化による医療機能の高度化を考慮し、移転新築を機に現在より100床の増床を計画した。この増床については特定病床の特例の適用が必要であり、府医療審議会並びに関連諸団体との交渉に苦慮したが、精力的に説明、陳情に走り回った結果、がん45床、リハビリテーション50床の承認を得ることができた。

  • 東海道新幹線「のぞみ」登場

1994(平成6年)

新病院建設工事着工(1月)

新病院建設工事着工

  • 松本サリン事件
  • 関西国際空港開港

1995(平成7年)

避難所への医療巡回

阪神・淡路大震災で落下したシャンデリア。市立豊中病院待合室誰しも予想しない大震災にて市民の多くが罹災したため、市内の避難所への医療巡回を行った。(1月)

  • 阪神・淡路大震災
  • 地下鉄サリン事件
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